第6回定例講演(2019/2/16)
くすり創りの歴史
内藤記念くすり博物館 館長 森田 宏
[本記事は、会報『跡』第4号より画像の一部とレイアウトを変更して掲載しています]
T.はじめに
薬という漢字は草冠に楽と書きます。服用すると「らくになる」に通じます。草冠は「病を治す草」、つまり薬草が 「薬」の語源になっていることを示唆しています。薬の始まりは洋の東西を問わず植物でした。地球上の植物は一説には 30万種以上とされますが、薬としての有効成分を持つ植物は1割以下ともいわれています。その中から薬草を探し出し、 病気やケガに利用してきました。やがて効果が高い薬を探求する間に、薬草から抽出・分離して得られた薬効成分を主とし た低分子医薬品やワクチン、化学療法剤、抗生物質などさまざまな薬が誕生しました。その後、生命科学、有機合成化学、 薬理学、分子生物学、計算科学、遺伝子工学などのさまざまな科学技術の発展により、今日ではバイオ医薬品、抗体医薬、 分子標的薬、中分子医薬品、核酸医薬など、これまでに類を見ない医薬品が登場しています。現在、薬は2万種類以上 あります。以下に、薬の創られ方に沿ってカテゴリー別(民間薬、生薬、漢方薬、ワクチン、低分子医薬品、抗生物質、 バイオ医薬品、抗体医薬)にわかりやすく紹介していきます。2.薬のカテゴリー
(1)民間薬
生の薬草や生薬を単一で用いる薬を「民間薬」と呼びます。
人類が使った最初の薬といえます。われわれの祖先は原始生活の時代から食べたり噛んだりしているうちに、偶然見つけ た薬を治療に使っていました。古代からの自然観察と経験が薬草につながりました。人間は、昔から“草根木皮” と呼ば れる薬草や薬木などを利用して、治療や手当を行ってきました。このような薬物が古代社会においてどのようにして発見さ れ、その知識が蓄積、伝達されてきたかは定かではありません。中国における農耕や医薬の神とされる 神農の伝説では、神農は多くの草木をなめて薬を発見したとさ れ、「神農本草経」という書物を後世に残しました。
日本ではゲンノショウコやドクダミなどが有名です。ヨーロッパではカモミールなどのハーブがこれに該当します。
(2)生薬( )
植物、動物、鉱物などの天然物に乾燥加工をしたものです。
最初は経験に基づいて生の薬草などをそのまま薬として利用していましたが、やがて刻んで乾燥させるなど簡単な加工を
施すようになったのです。このような薬物を「生薬(しょうやく)」と呼んだのです。生薬には動物由来のものや鉱物など
も含まれます。病気はいつ起こるかわからないので、いつでも使用できるように乾燥保存が考えられてきたのです。
生薬は漢方薬の原料として使われています。
熊胆 クマノイとも呼ぶ。クマの胆のう 利胆・健胃・腹痛 |
霊芝 サルノコシカケ科マンネンタケの子実体 強壮・鎮痛剤 |
麝香 麝香鹿の雄の香のう分泌物 鎮静・鎮痙・強心・香料 |
沈香 ジンチョウゲ科の木に樹脂が沈着したもの 鎮痛剤・薫香料 |
鹿茸 シカの幼角で、まだ角化してないもの 強壮・強精 |
冬虫夏草 フユムシナツクサタケが昆虫に寄生したもの 強壮剤 |
紫石英 紫水晶 鎮静・強壮剤 |
菊名石 腔腸動物キクメイシが海中につくった炭酸石灰の骨格 解毒剤、「越後の毒消し」の主成分 |
(3)漢方薬
数種類以上の生薬の混合物で、それぞれの処方に名前がついています。代表処方は葛根湯。
中国の漢の時代に完成した「傷寒論」に使われる薬が漢方薬なのです。漢方とは、漢方医学の理論に沿って複数の薬物を
組み合わせた処方なのです。西洋医学のようにひとつの病気を治すのではなく、特定の症状を軽減するものです。例えば、
“葛根湯の証【葛根湯の配合】
・葛根(かっこん):
葛(マメ科)の根・・・発汗・解熱・緩解作用
・麻黄(まおう):
マオウ(マオウ科)の草茎・・・発汗作用(根は止汗)
・大棗(だいそう):
ナツメ(クロウメモドキ科)の実・・・利尿作用
・桂皮(けいひ):
ケイ(クスノキ科)の樹皮(枝)・・・去痰鎮咳作用
・芍薬(しゃくやく):
芍薬(ボタン科)の根・・・収斂・緩和・鎮痙・鎮痛作用
・甘草(かんぞう):
甘草(マメ科)の根、筋肉痛緩解
・乾生姜(かんしょうきょう):
ショウガ(ショウガ科)の乾燥根茎・・・辛味健胃作用、矯味矯臭
葛(マメ科)の根・・・発汗・解熱・緩解作用
・麻黄(まおう):
マオウ(マオウ科)の草茎・・・発汗作用(根は止汗)
・大棗(だいそう):
ナツメ(クロウメモドキ科)の実・・・利尿作用
・桂皮(けいひ):
ケイ(クスノキ科)の樹皮(枝)・・・去痰鎮咳作用
・芍薬(しゃくやく):
芍薬(ボタン科)の根・・・収斂・緩和・鎮痙・鎮痛作用
・甘草(かんぞう):
甘草(マメ科)の根、筋肉痛緩解
・乾生姜(かんしょうきょう):
ショウガ(ショウガ科)の乾燥根茎・・・辛味健胃作用、矯味矯臭
(4)ワクチン
毒性を弱めた病原体を摂取し、体内に抗体を作り、病原体の感染を防ぎます。
最初につくられたのは天然痘のワクチンでした。イギリスの外科医ジェンナーは、農家の女性から「牛痘に感染した人は
ヒトの天然痘にかからないことや、牧場の乳しぼりを仕事にしている女性は天然痘にかからないこと」を聞き、1778年から
酪農場で研究を始めます。そして、雌牛の乳房にできた膿痘から乳搾りの女性に牛痘が感染すると、女性の手には同じよう
な膿痘ができるけれど、ヒトの天然痘には感染しなくなることを発見したのです。その後、18年にわたり研究が続けられま
した。1796年、乳しぼりの女性の手にできた膿痘を8歳の男の子に接種したところ、軽い感染が認められました。そして、その 1か月半後にヒトの天然痘の膿を接種しましたが、感染しなかったのです。数回にわたり同様の実験を繰り返しましたが、 感染はしませんでした。ジェンナーはその研究成果を王立学会に送りました。そして、1798年には小冊子の形で発表したの でした。反論も起こりましが、やがて各地で牛痘接種が行われるようになったのです。
このワクチン療法の原理は、フランスのパストゥールによって狂犬病にも応用されました。
(5)低分子医薬品
天然物(植物・動物・鉱物)から成分を抽出、合成した医薬品です。分子量が500以下の薬で、現在の医薬品の大多数を
占めています。
抽出の歴史は、ドイツの薬剤師ゼルチュルナーが、1806年にアヘンから有効成分のモルヒネを純粋な結晶として
抽出したのが始まりです。その後、ジギタリスから心臓治療薬ジギトキシン、キナの木からマラリヤ薬キニーネ、マオウか
ら喘息薬エフェドリン等が発見されました。合成の歴史は、ドイツ人ホフマンが、ヤナギからアスピリンを合成したことに始まります。バイエル社の科学者ホフマン は、彼の父がリウマチ治療の際に副作用に苦しむ姿を見て、副作用の少ないサリチル酸誘導体の合成を目指しました。ホフ マンはサリチル酸の酸性の強さが胃痛を引き起こすと考え、その酸性の元となる水酸基にアセチル基を取り付けたところ、 合成されたアセチルサリチル酸の鎮痛作用は変わらずに、副作用は弱まっていたのです。
1899年にはアセチルサリチル酸を主成分とする鎮痛解熱薬「アスピリン」が販売されるに至りました。ホフマンが市販薬 として市場に送り出した世界最初の低分子医薬品でした。
(6)抗生物質
抗生物質は微生物により作られる化学物質を指し、他の微生物の発育や代謝を阻害する。
A.フレミング(1881〜1955、英)
青カビの培養
左:A.フローリー(1899〜1968、豪)
右:E.B.チェーン(1906〜1979、英)
❶ペニシリンの発見
1928年にイギリスの医学者フレミングが発見した抗生物質がペニシリンです。ブドウ球菌の実験中、青カビが寒天培養地に混入しコロニーを作ったものの、そのカビの周囲のブドウ球菌が溶けている のを発見したのです。その青カビを培養して、培養液を濾過(ろか)して出来た薬がペニシリンでした。ペニシリンはすぐに 臨床で利用されましたが、当時のペニシリンは不安定で、すぐに効果がなくなってしまいました。
❷ペニシリンの改良と大量生産
その後、イギリスの病理学者フローリーとドイツ出身の生化学者チェーン(図-7)が大量生産に成功します。二人は、ほかの研究者たちと同様に、凍結乾燥によって化学的に安定化したペニシリンナトリウム塩を得ていましたが、 当初得られたのはごく少量で、不純物も混入していたのです。また、注射や点滴で投与してもすぐに尿中に排出されてしま うという欠点もあったのです。
1941年にやっと大量生産を可能にしました。第二次世界大戦が勃発すると、フローリーらはアメリカに渡り、製薬会社の 協力を得ながら、一般の人からもカビの提供を受け、幾度も培養液を工夫してやっと大量生産に成功したのです。その後、 1944年にはタンク培養を開始し、大量生産したペニシリンが戦地で用いられたのです。
碧素アンプル
❸日本製ペニシリン(碧素( ) )の誕生
ペニシリンが利用され始めた当時、日本はアメリカ、イギリスの対戦国であり、増加する傷病兵の治療薬を必要としてい
ました。1943年にドイツからペニシリンについて書かれたキーゼの論文を入手し、1944年にイギリス首相・チャーチルが
ペニシリンの使用で肺炎から回復したニュース(実は誤報であった)が流れたことをきっかけに、陸軍軍医学校での国産ペ
ニシリンの開発が始まります。物資がない中での開発は困難を極めましたが、約8か月で精製に至り、「碧素(へきそ)」
と命名されたのです。戦時中の開発ということもあり、正確な生産量は不明ですが、森永製菓、万有製薬、わかもと製薬、
明治乳業の工場で東京女子師範学校の協力も受けて生産されたといいます。生産品の大多数は軍に納品され、民間に行き渡
るには十分ではありませんでした。戦後は連合軍が進駐し、ペニシリンの生産が行われました。(7)バイオ医薬品
バイオテクノロジーによって作られた医薬品。
種類別のバイオ医薬品数*)
(全体=153品目/ワクチン6品目含む)
出典元:ニッセイ基礎研究所
データ:国立医薬品食品衛生研究所
(2019年5月1日現在)
*)日本で承認されたバイオ医薬品
(バイオ後続品を除く)
化学合成と異なる手法で創製されるバイオ医薬品が登場したのは20世紀末のことです。バイオ医薬品は、初めに遺伝子組 み換え技術によって目的のたんぱく質を作るための遺伝子を導入した生産用細胞株を作ります。その細胞株を大型培養タン クで培養し、そこから目的のたんぱく質を精製するのです。製造には大腸菌、酵母、動物細胞やヒト細胞などが用いられます。
(8)抗体医薬
特定の病気用に人工的に作った「モノクローナル抗体」と呼ばれる薬。
【抗体医薬品の働き】
(抗腫瘍効果の例)
がん細胞表面のタンパク質が認識して、抗体医薬品が結合する
▼
抗体医薬品ががん細胞表面のタンパク質と結合してがん細胞の働きを抑える
▼
抗体医薬品が結合したがん細胞は免疫細胞の攻撃を受ける
出典元:石井明子
「バイオ医薬品ってどんなもの」
抗体医薬は標的への特異性や結合力が強く、タンパク質同士の結合を阻害するため、病気の細胞を狙い撃ちすることがで き、副作用が少ないといわれています。ただし、経口投与はできず、分子量が大きいために細胞内に入ることはできないの です。
かつてはヘビ毒をウマに注射し、ヘビ毒のタンパク質を異物とみなして産生された抗体を薬としました。この方法でつく られた抗体は、抗原となるタンパク質の表面に数種類の抗体が混在する「ポリクローナル抗体」です。ウマに由来するタン パク質により抗原抗体反応が起こるため、治療には使用できませんでした。
1975年にはケーラーとミルシュタインにより、動物の細胞を利用し、単一の構造を持った「モノクローナル抗体」を量産 する技術が開発されました。モノクローナル抗体は最初にハイブリドーマと呼ばれる細胞を大量に培養して後に抗体だけを 分離させてつくります。1986年には臓器移植の際の急性拒絶反応の抑制に用いられました。この時用いられた抗体は、抗体 の定常部がマウス由来の「マウス抗体(下図Ⓐ)」であり、「定常部」と呼ばれる部分のアミノ酸配列がヒトとは異なるた め、アレルギー反応を起こしやすかったのです。しかし1990年代には定常部を遺伝子組み換え技術を利用して、「キメラ抗 体(下図Ⓑ)」「ヒト化抗体(下図Ⓒ)」などマウス抗体の部分を減らした抗体がつくられ、さらにすべてをヒトの抗体と した「完全ヒト化抗体(下図Ⓓ)」も登場して安全性が高められました。
マウス抗体から完全ヒト抗体へ
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