第4回定例講演(2018/10/20)

木曽川と尾張の農業用水

(株)エース 技師長 清水 正義 

[本記事は、会報『跡』第4号よりレイアウトを変更して掲載しています] 

T.農業用水の特色

   わが国は、湿潤温暖なアジアモンスーン気候で稲作農業に適し、弥生時代の稲作伝来以降、稲作農業は天水(雨水) 利用からため池築造に始まり、中河川の利用が図られ、江戸時代になって大河川の治水工事と新田開発がすすめられた。 また、水田用水補給のために多くの素掘り用水路が築造され、昔から多くの人に愛された唱歌「春の小川」は、 これら農業用水路の情景を歌ったものである。明治以前の用水路は、その殆どが農業用土水路であった。 現在では、図-1のように、生活用水、工業用水、農業用水が河川から取水されているが、その全体取水量の70%は 農業用水である。
(注)
  1. 国土交通省水資源部作成
  2. 国土交通省水資源部の推計による取水量ベースの値であり、使用後再び河川等へ還元される水量も含む。
  3. 工業用水は従業員 4 人以上の事業所を対象とし、淡水補給量である。ただし、公益事業において使用された水は含まない。
  4. 農業用水については、1981〜1982 年値は 1980 年の値を、1984〜1988 年値は 1983 年の値を、1990〜1993 年値は 1989 年の値を用いている。
  5. 四捨五入の関係で合計が合わないことがある。

【 図-1 全国の水使用量[1]


(1)農業別の用水比率

 わが国の主要農業は、図-2によると畜産、稲作、畑作である。これらの農業に必要な用水量は、図-3に示したように、 稲作用の農業用水量が圧倒的に多い。これは、稲作農業が多量の用水を必要とする為である。

図-2 耕地面積の推移[2]

(注)
  1. 国土交通省水資源部作成
  2. 農業用水量は、実際の使用量の計測が難しいため、耕地の整備状況、かんがい面積、単位用水量(減水深)、家畜飼養頭羽数などから、国土交通省水資源部で推計した値である
  3. 推計値について、1975 年については農林水産省、その他の年については国土交通省水資源部が推計。
    なお、1976 年〜1979 年は 1975 年の値、1981〜1982 年は 1980 年の値、1984〜1988 年は 1983 年の値、1990〜1993 年は 1989 年の値を用いている。

図-3 農業用水量の推移[3]


図-4 水田の水循環[4]

(2)水田農業の水循環

 水田は、圃場に降った雨を一旦貯留し、ゆっくりと排水路から河川に流すことにより森林と同じように治水機能を 発揮する。田面の貯留水は育稲(いくとう)に利用される他に、一部は蒸発し、残りはゆっくりと地下に浸透する(図-4)。
 こうした水田の水循環により、水田は稲作の他に、降雨の洪水調節、地下水涵養、地域気温の緩和、圃場における 生態系の保全等の多面的機能を発揮している。このような、国土、環境、自然保護に果たす水田の多面的機能をお金に 換算すると、年間4兆7000億円分になるとみられている。ちなみに、米の生産額は年間およそ3兆円である (原 剛『日本の農業』岩波新書)。

U.木曽川と尾張の農業用水(図-5)

図-5 濃尾平野の農業用水事業[5]

 尾張平野(沖積平野)の農業は、犬山扇状地下流の自然堤防地で木曽川支線からの自然河川水を利用した稲作農業から 始まり、江戸時代に入りデルタ地帯の干拓と自然堤防地における開田が進められた。
 これらの開田に用水補給を行うために、地区内河川取水用の多くの井堰が築造された。
 しかし、慶長14年(1609)、犬山から弥富に至る木曽川左岸に約48kmにわたる連続堤(御囲堤)が築造され、木曽川から 濃尾平野に流れていた支流を塞き止めることになり、一帯の農地は水源を失う。
 そこで、木曽川本流から直接取水することになり、1610年に一宮市浅井町大野と江南市 般若はんにゃ町の2箇所に取水用水門を築造した。 ここから大江用水、新般若用水への導水路が築かれた。しかし、木曽川からの取水は洪水による土砂の堆積が起き、 新たな水門を設けざるを得なくなった(図-6)。

図-6 木曽川改修前の下流平地(1889年測図)[6]

 また、近代に入ると、1924年に大井ダムが完成すると共に木曽川に流れる水量が減少、1939年に今渡ダムを建設して 用水の取水量を確保した。しかし、犬山より下流では洪水毎に流路が変わり取水口前が埋まり、掘削作業が悩みの種と なっていた。

(1)犬山頭首工と濃尾用水

 頭首工は、河川に堰〈注〉を設け農業用水を水路に引き込むための水利施設で、ダムのようにたくさんの水を貯める ための施設ではない。頭首工という名前は、水路を人間の体に例えた場合、水路は体の末端である手足、大元である 頭首工は頭や首というところからきていると言われている。

写真-1 犬山頭首工

写真-2 大江用水

 頭首工による取水は旧来の河川からの取水口方式に対し、比較にならないほど取水の安定性が高い。 こうしたことから、1957年に開始された国営濃尾用水T事業では、犬山地点に頭首工を造り、宮田用水、 木津こっつ用水、羽島用水の3用水を濃尾用水事業として取り込み、 水路の改修と合わせて取水の安定を図り、農業経営の安定を図ることとした(写真-1)(図-7)。
 犬山頭首工は、当時としてはわが国屈指の高度な技術と規模を誇り、その後のわが国における頭首工建設の技術的基盤を 築いたものである。
 濃尾用水の完成により安定した用水補給が確立したが、その後、わが国の経済成長期において、農村部が都市化されるに つれて、農業用水路に工業汚水や生活汚水が大量に排出され水質が悪化し、農作物に悪影響が出始めた。 この結果、1969年(昭和44年)から濃尾用水U期国営事業により、農業用排水路を用水路と排水路に別け日本初の用水路の パイプライン化(地中化)工事が始まり農業用水路の大部分を地中化し、従来の用水路は排水路に転用した。
 こうして濃尾用水T期、U期事業により、取水の安定と、農業用水・排水路の分離による水質問題は解決して、 安定した用排水路として供用された。
 その後、この国営事業で建設された施設の老朽化、更に、都市化の進展や自然的、社会的状況の変化などに起因して、 水質の悪化、排水路に対する洪水量の増加等により施設の機能が低下し、災害の恐れが広域的に生じた。 このため、農業水利施設の機能を回復し、農業被害と災害を未然に防止することが必要となり、既設の犬山頭首工と 基幹水路の改修が濃尾防災事業として行われた。この事業では水路の生態系保全を図るために水路底のところどころ 深みを設ける等の環境配慮が取られている(写真-2)。
 このようにして、濃尾用水は、都市化と地域の社会・自然環境の変化に対応した改修によりその機能を発揮している。

図-7 犬山頭首工概要図[7]と左岸幹線分水工


(2)木曽川大堰と木曽川用水

写真-3 馬飼頭首工(木曽川大堰)
photo:Monami

 木曽川用水地区は、佐屋側用水取水口(木曽川河口から26.0km地点)下流に位置し、取水地点が木曽川の干潮区間に あり、取水は潮位の上昇による上層部の淡水取水に制約されていた。このため、佐屋側用水取水口付近の 馬飼まかい地点に頭首工を設け取水の安定化を図る必要があった。 こうした河口地点は、洪水時に河床変動が大きく、堰を設置した場合の治水、利水面に対す影響が懸念された。 このため、木曽崎干拓地に縮尺1/50の木曽川河道模型を作り、2か年にわたり水理実験を行い、頭首工の形状と規模を 確定し、わが国で初めてとなる河口部における大規模な頭首工が建設された。これにより濃尾平野下流地域の農業用水と 都市用水の安定取水が可能となった。この頭首工の建設時には、馬飼頭首工と呼ばれていたが、 建設後はなぜか木曽川大堰(写真-3)と呼ばれている。馬飼頭首工の建設技術はその後の長良川河口堰、利根川大堰の建設に 引き継がれている。

(3)愛知用水

愛知用水兼山取水口(国土地理院地図)

写真-4 牧尾ダム(御岳湖)[8]

写真-5 愛知用水幹線水路[8]

 知多半島地域の農業は、大きな河川が無く、天水やため池に水源を求めていた。このため、常に水不足に悩まされ、 1947年に大干ばつを受けて溜池が壊滅し、大きな被害を受けた。これにより新たな用水設置を求める運動が起き、 篤農家の久野庄太郎と安城農林高校教諭の浜島辰雄は、自らの現地踏査により、木曽川からの引水を計画図にし、 首相吉田茂へ陳情し、国の政策として用水路建設が進められることになった話は有名である。この事業を行うため 1955年に愛知用水公団が発足し、水源として長野県王滝村の木曽川支流に牧尾ダム(写真-4)を建設した。
 ダムより放流した水は木曽川兼山ダムで取水し、延長約150qの幹線水路(写真-5)で知多半島までの途中、犬山、 小牧、春日井、名古屋市地域高位部の農地に用水補給を行い、美浜町の美浜調整池まで導水されている。
 愛知用水事業は、我が国の経済状態が厳しい中で、世界銀行による敗戦国復興開発融資を受け、アメリカ合衆国の シカゴに本社をおくコンサルタント E.F.A社が設計・監理を担当し、進んだ土木技術、建設機械が導入された。 その結果、極めて短期間に大規模工事が完了した。同時に、この事業の中で我が国の多くの農業土木施術者が育成され、 その後の農業土木技術を指導している。

【資料出典先】

  1. [1]全国の水使用量
      国土交通省/令和3年版/第2章 水資源の利用状況、図2-1-2
    https://www.mlit.go.jp/common/001371909.pdf

  2. [2]耕地面積の推移
      農林水産省「農地面積の動向」
    https://www.maff.go.jp/j/wpaper/w_maff/h27/h27_h/trend/part1/chap2/c2_0_02.html

  3. [3]農業用水量の推移
      国土交通省/令和3年版/第2章 水資源の利用状況、図2-4-1
  4. https://www.mlit.go.jp/common/001371909.pdf

  5. [4]水田の水循
      高橋裕編『水のはなしV』1982、技報堂出版

  6. [5]濃尾平野の農業用水事業
      第3回木曽川水系流域委員会資料-7

  7. [6]木曽川改修前の下流平地
      愛知県海部土地改良区編『木曽川用水史』1988、水資源開発公団

  8. [7]犬山頭首工概要図
      東海農政局「犬山頭首工概要書」2018(分水工の写真を追加)

  9. [8]牧尾ダム(御岳湖)・愛知用水幹線水路
      独立行政法人 水資源機構 愛知用水総合管理所HP
    https://www.water.go.jp/chubu/aityosui/index.html


web拍手 by FC2
よろしければ、この拍手ボタンを押して下さい。
(書込みもできます)



2018年度第4回講演より

▲ページ先頭へ
TopPage
▲ページ先頭へ

◂TopPage

inserted by FC2 system