第3回定例講演(2017/8/19)

朝日町 開拓と都市化の歴史

(元・朝日町自治会連合会長)

谷内 朗


1. はじめに

 各務原市鵜沼朝日町(以下、朝日町)は、現在人口約6,000人、世帯数約2,300の町です。 殆ど人の住んでいない原野に、100年前に陸軍の航空部隊が進駐して宿営地を建設しました。 終戦とともに、部隊は解散し、この軍用地跡の開拓のために人々が入植してから72年となります。 困難な開拓の時代と、その後の都市化の歴史を中心に概要を紹介します。

2. 終戦まで

1)幕末から明治期

 江戸時代の末、当地は尾張藩鵜沼村に属し、廃藩置県により岐阜県となりました。 字名としては、蝙蝠、出張などで、人は殆ど住んでいず、南には大伊木の集落がありました(図-1)。 明治に入り、陸軍が中山道の南の広大な土地を買い、大砲の射的場にしましたが、 大砲の性能が上がり飛び過ぎるとのことで、練兵場になっていました。

図-1 鵜沼村絵図(「鵜沼の歴史」より一部加筆)

2)陸軍航空第二大隊の進駐

 大正4年(1915)に所沢に陸軍の常設航空大隊が編成され、各務ヶ原にも飛行場が建設されることになり、 大正5年から陸軍の土地買収が始まりました。 格納庫、隊舎、滑走路の建設が開始され、翌年には、徳川大尉が所沢から各務ヶ原飛行場へ無着陸飛行しました。 大正7年10月に陸軍航空第二大隊が、現朝日町3丁目、5丁目へ進駐し、当地に初めて人々が住むようになりました。

3)当地の部隊の変遷

 終戦まで、部隊は目まぐるしく変遷しました。 飛行第二聯隊が一番長く、また、各務原鉄道敷設時の駅名も二聯隊前でした。
 終戦間際には岐阜陸軍航空整備学校(以下、岐整校)から第四航空教育団に改編されましたが、 主要な施設は、伊木山の山中、鵜沼の西町・東町や各務の山中に疎開しました。

4)終戦

 昭和20年8月15日の終戦の詔勅を受け、当地に駐在の第一教育隊(空563部隊)では 9月5日に格納庫の前で復員式を行いました。
 終戦直後には、軍の施設の廃墟が残りました。(図-2)

図-2 終戦直後の軍の跡地航空写真 主要な建物などの配置
(国土地理院「USA1948年撮影」に加筆)

3. 開拓の時代

1)旧軍用地の開墾/当初開拓の困難

 終戦直後、軍用地の解放を受けて、岐整校復員者を主として129名による農耕隊が編成され、開墾を開始しました。 昭和21年初頭には、農地開発営団岐阜各務原事業所が開設され、農耕隊はその指導により緊急農地開発を行いました。
 昭和21年2月15日には、復員者、引揚者、戦災者、一般の県当局より入植を認可された人等が 下士官集会所前の稲荷神社で結団式・入植式を挙行しました。

写真-1 終戦直後の朝日町の風景 手前の野原は主な開墾対象の飛行場の跡地
(現在のJA鵜沼西支店付近から)

 開墾地は、主に東飛行場の滑走路の跡地(写真-1)で、草原をローラーで固めただけだったので、 幾層にも重なった笹の根が生い茂り、畑の土質は「黒ぼく」といわれ強い酸性でした。 開墾当初の農作業は一日に二坪か三坪がやっとで、ほとんどスコップによる人力でした。 天地返しの方法で耕しましたが、新しい土地では親指の先ほどの甘藷しかできませんでした。

2)各務原開拓団

 開拓の運営を円滑に進めるため、農耕隊員を含む旭区と三ツ池区の入植者は、 昭和21年4月1日に各務原開拓団を結成しました。 各務原開拓地は、岐整校を含む東飛行場の区域と、三ツ池の陸軍航空廠技能者養成所の跡地で、飛地でした。 また、東飛行場の北半分は、別途地元増反(ぞうたん)地として扱われ、 開拓団の開墾地と居住地はそれ以外の部分でした。(図-3)

図-3 各務原開拓地(「各務原市民の戦時記録」より加筆)

 昭和23年5月付団員名簿によると総数118戸で、旭区88戸、三ツ池区30戸、総人口297人でした。
 入植者の前歴、前職、本籍区分を見ると、復員者の割合が高く、農業経験のない人たちが多数入植したことが分かります。 また、この地の近隣の人は極めて少数でした。(図-4)

図-4 入植者の前歴、本籍地区分

3)朝日区の誕生

 開拓団の岐整校跡地の人たちは、行政的には隣接する大伊木区や各務原区のお世話になっていたため、 不便な点が多いとのことで、昭和23年4月1日に新たに独立した区をつくりました。
 区名は、「朝日が天に昇るがごとく開拓が成功して、社会に貢献すると共に各家庭が隆昌すること」を考慮して、 朝日区と命名されました。
 一方、地名を示す場合には「旭」の字で、東旭、西旭という字名(あざめい)として地番に付して使われました。

4)開拓農協の開拓事業

 昭和22年に農地開発営団が解散になった後、昭和23 年8月に各務原開拓農業協同組合(以下、開拓農協)を設立し、 団員は開拓農協の組合員に移行しました。(写真-2)

写真-2 開拓農協組合事務所(昭和36年)

 開墾は当初は三ヶ年計画でしたが、五ヶ年かかり、昭和26年3月に検査が完了しました。 昭和28年頃には、開拓事業は軌道に乗り始め、開拓地は豊かな農村地帯へと変貌しました。 最終的には、一戸当り平均約一町歩(3,000坪)を開墾しました。

5) 朝日区の農業の特徴

開拓地の農業の特徴として、昭和35年の調査の結果を集約して、以下のように記されています。
・・・・以上から、開拓地が一大農業集落であったと認め得る。 販売農産物は麦類、野菜、畜産各部門にほぼ三等分される。 鵜沼の既存集落では養蚕部門の比重が高く対照をなす。 開拓地であった現朝日町は、各務原農業において画期的で独特、既存農業集落とは異質であったことを示している。

「各務原市史通史編 近世・近代・現代」より

特色のあるものとして、以下が挙げられます。
■芋飴(水飴)製造
現金収入を得るため、入植後の早い時期から開始されました。
■種なしスイカ
日本で最初に栽培したのは、ここ朝日区です。種なしスイカの発明者の京都大学の木原均教授が、 昭和25年6月に試作の視察に当地を訪れました。やがて入植者全員に広がり、各務原の種なしスイカは全国で有名でした。
■養豚
入植してからすぐに始まり、澱粉、ブドウ糖などの製造時にできる糟を利用して豚の飼育が拡大しました。 朝日区では豚の多頭飼育が際立っていたとの記録があります。
■酪農
現在の朝日町3丁目の西側で、昭和47年には成牛55頭規模の酪農を経営していました。

6)建設工事

 開拓農協では、各種の建設工事を行いました。 排水路及び道路工事を逐次実施したほか、計90町歩の畑地の水利のための畑地潅漑工事(通称、畑かんと呼ぶ)を 2次に分けて実施し、昭和39年4月に完成させました。(写真-3)

写真-3 畑かん工事風景(昭和34年頃)8oより

 また、飲料用水の供給のための簡易飲料用水道工事が昭和36年5月に完成し、通水しました。
 これらの建設工事の労働には、住民が男女を問わず参加しました。

7)開拓を振り返って

昭和38年1月、開拓農協の全員65名が鵜沼農業協同組合へ加入、その後、昭和48年3月に開拓農協は解散し、 26年間の歴史に幕を閉じました。
開拓を振り返って
二十一年二月十五日。以来十九年間苦労に耐え悲しみを忍び、 びっしり張りつめた雑草の芝地と取り組み、石の上にも三年とやら次々美田化していきました。 私は今更ここで送った十九年の生活に、限りない哀惜の情を感じるのです。

(文集「はなかご」昭和40年より)

4. 都市化

1)都市化の様子

終戦後の朝日の人口の推移をみると、昭和45年から55年の間で4倍に急増しました(図-5)。

図-5 朝日区/朝日町地域の人口の推移

昭和44年と57年の朝日の地域の航空写真を比較してみると(図-6)、 この間に、ぺトンの敷地、原野や農地だったところに、多くの団地・住宅群や工場・施設などが建設されたことが分かります。

2)都市化の背景

戦後入植した人たちは、軍用地跡を開墾して、まわりから一目置かれる農業地帯を築きましたが、 幾つかの要因が重なり、昭和35年を過ぎた頃から宅地化が一挙に進みました。主な要因は、以下のようなものと考えられます。

図-6 昭和44年から57年の間に建設された主な建物
(上下共に国土地理院「空中写真」より加筆)

▼離農傾向
入植者の高齢化、教育費などの出費のため
▼就職状況
近隣に多数の就職先ができたため
▼開拓農協共有地の放出
事業に際しての事業者負担分充足のために約10町歩の共有地を開発業者や市に売却した
▼宅地開発の機運
日本全体が高度成長期を迎え、朝日区でも宅地需要機運が高まり、宅地造成が始まる
▼新都市計画(昭和46年〜47年)との関連
当時、すでに朝日では宅地開発が進んでおり、その状況が計画決定に反映された
日本各地からのさまざまな職歴の入植者により、戦後に開墾された集団開拓地であったことも大きく影響していると思われます。

3)現在の朝日町に至る

 都市化による人口の急増に対して、朝日区の自治会は、それまで単一であったものを逐次分割しました。 昭和50年に、それまで鵜沼町字名西旭と東旭であった地域は、町名変更により、鵜沼朝日町(1〜5丁目)になりました。 自治組織も朝日区から朝日町に名称が変わりました。
 子どもたちの人数も急増したため、市は陵南小学校や中央中学校などを新設して生徒の分散を図りました。
 朝日町では、近年も人口は漸増しています。一戸建てやアパートやマンションがたくさん建ちました。 それらには、近隣の会社の従業員用や研修者用のものもみられます。

本ページの背景:朝日町上空からの3D画像

(画像© 2018Google



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2017年度第3回講演より

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