第1回定例講演(2017/4/15)

続・各務原という地名

(各務原市教育委員会文化財課長)

西村 勝広


1. はじめに

 平成27年4月、濃尾・各務原地名文化研究会の創立第1回定期講演にお招きいただきました。 その時のテーマが「各務原という地名」で、地名の起源や複数の読み方について、 問題を整理して仮説を提起させていただきました。 その後、各方面の先生方や会員の方々から、貴重なご意見を賜ったとともに、自らも検討を重ね、 一部の見直しと新たな所見を追加することにしましたので、ここに披露させていただきます。

2. 各務姓と各務地名

 今一度、地名変遷の概要を整理したいと思います。 およそ6世紀頃、現在の各務小学校区辺りに定着した渡来人が各牟と名乗り上げました。 『御野國(みのこく) 各牟(かかむ)中里太寶(なかりたいほう) 貳年(にねん)戸籍』(702年) の存在が示すとおり、各牟氏の治める行政区は各牟郡と呼ばれていました。 戸籍の末尾に郡司(郡の長)である各牟勝牧夫(かかむのすぐりまきお)の名がありますが、 「(すぐり)」というのは古代の氏姓制度の (かばね)(称号)に値するもので、 「(すぐり)」は渡来人に与えられたといわれています。
 人名が先か地名が先かという問題はありますが、多くは地名が先行します。 2年前の講演では、各牟地名の語源は周辺の山地地形に由来するものとし、 美濃帯堆積岩類の地層褶曲(しゅうきょく)が成す、 “屈む=かがむ”、“囲む=かこむ”という山稜の特徴にルーツを求めました。 その後、岐阜大学教授の山田敏弘先生から、古代には“かがむ”という語は存在しないはずなので、 “かこむ”ではないかという貴重なご指摘を頂きました。 “かこむ”という発音に対して漢字を当てたのが各牟とするなら、上手く説明が出来そうです。 ここに訂正させていただきます。 その後、『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』(938年)には、 美濃国各務郡各務郷という表記が認められることから、各牟から各務に改められたことが分かります。 各牟は「かかむ」としか読めませんが、各務は「かかむ」、「かかみ」とも読めますので、 この頃に「かかみ」という読み方が派生したのではないかと考えられます。

3. 各務姓の分布

各務郡が古代から続く長い時代、各務氏と密接に関わってきたのであれば、 当地には各務という苗字が多いと思うのは当然です。 まず、各務原市職員の1,314人中、各務姓を調べてみると意外にも1名しかいません。 実際に、現在の各務小学校区周辺に各務という姓は目立った存在ではないのです。 この事実を、うまく説明できなければなりません。 昨今は、インターネットで色々なことが手軽に調べられる時代です。
「苗字由来net」(https://myoji-yurai.net/)
というウェブサイトを見ると、 各務という苗字は、全国第2,103位で、約7,200人がいらっしゃることが分かります(2018年3月現在)。 決して多くはないのですが、分布図を見ると面白いことが分かります。 各務原市には少なくても、都道府県別にみると岐阜県が一番多いのです(図-1)。

図-1 各務姓の分布(都道府県別)苗字由来netより

図-2 務姓の分布(岐阜県、市町村別)作図データは苗字由来netより

つまり、各務姓は各務原市域が発祥の地であり、歴史の中で戦や領地替えによって故郷の地を離れたにせよ、 多くの子孫の方々は県域に留まって暮らしているという説明が出来ることになります(図-2)。

4. 「かかみ」と「かがみ」の発音

 現在の各務原市の読み方には、複数が混在します。公式には「かかみがはら」なのですが、 実際には各務ヶ原駅は「かがみがはら」、各務原高等学校は「かかみはら」と読み、 市民の会話には、「かがみはら」がしばしば登場します。読み方は様々でも、 話す側、聞く側ともに市内では不自由しませんが、県外の人達からは、不思議で仕方がないという声をよく聞きます。 読み方を分析すると、基本的に4パターンが存在します。 それは、「かがみがはら」、「かかみがはら」、「かがみはら」、「かかみはら」で、 つまり二つ目の「か」が濁音か否か、三つ目の「か」があるか否かです(図-3)。

図-3 各務原の読み方

 まず、二つ目の濁音について考えてみます。 日本は漢字文化圏ですので、古文書は残っても読み方までは分からないという不都合があります。 ところが、読み方の分かる場合があります。 例えば、室町時代に美濃国守護の土岐氏が創建した承国寺という禅寺がありました。 現在は遺跡となっています。この承国寺の読み方が「しょうこくじ」なのか「じょうこくじ」なのかが問題です。 日本では、同じ名称に異なる漢字を当てはめることが、しばしば行われました。 承国寺の場合、常國寺と記した史料が存在します。 このことをヒントに両方に共通する読み方を考えると、それは「じょうこくじ」ということになるわけです。 また、各務郡の南半部に広がる各務原台地を江戸時代に各務野と呼んでいたことが知られていますが、 この各務野を鏡野と記した絵図等が存在します。 したがって、「かがみの」と濁って発音されていたことが分かるのです。
 各務郡は「かかみ」と発音していたことを先にも述べましたが、 各務野に限って「かがみ」と濁音化したのには理由がありそうです。 これも岐阜大学の山田先生に教えていただいたことなのですが、 今でも書留郵便のことを西日本では「かきどめ」、東日本では「かきとめ」、また悪口を西日本では「わるぐち」、 東日本では「わるくち」と発音するそうです。 つまり西日本では濁って訛るという特徴があります。 中部圏である各務原市では、両地方の読み方が混在しています。 各務原市の西部に那加新加納町という地名があります。 新加納は「しんかのう」と読みますが、地元の人たちは「しんがの」と発音します。 おそらく江戸時代から、そう読まれていたのだと思います。 新加納「しんがの」と各務野「かがみの」を結ぶのは、中山道です。 この官道では人や物だけが移動したのではなく、様々な情報や文化が行き来往来しました。 つまり、中山道に沿って西日本の言語文化が流入し、各務野「かがみの」という濁った発音を派生させたと考えられます。

5. まとめ

 2年前の講演に話を戻しますが、江戸時代に 貝原益軒(かいはらえきけん)が記した 『岐蘇路記(きそじき)』の 「鵜沼の西のはずれより西に広き野あり。各務野と(いう)。 此辺各務郡なるべし。野の北に各務と(いう)村あり。」 という表記があります。 つまり、各務郡の北に各務村、南に各務野(各務原台地)が位置し、貝原益軒の歩いた岐蘇路(中山道)は、 南部を東西に貫いています。 このような地理的な関係を考慮すると、西の文化の影響を受けて濁音化したのは南部のみであったと推定します。

図-4 地名変遷説明図

 各務野(かがみの)は幕末から近代にかけて、 大砲射的場等の利用を機に各務ヶ原(かがみがはら)と称され、 大正期には各務ヶ原(かがみがはら)飛行場が開設します。 太平洋戦争期の米軍資料には各務原をKAGAMIGAHARAと記しています。 当時の表記、読み方を今に伝えているのがJR高山線の各務ヶ原(かがみがはら)駅なのです。 つまり、南部地域は濁音圏として存続していきました。 一方、北部地域は古代以来、各務(かかみ)のままであったと思われます。 現在でも各務小学校を始め、各務西町、各務東町、各務おがせ町などは、濁らずに「かかみ」と読みます。
 昭和38年に、那加町、蘇原町、稲羽町、鵜沼町が合併して各務原市が誕生する時、 旧4町の全て関わっていた各務ヶ原を市名に掲げる事に異論はなかったものと思われます。 戦前・戦後、助詞のヶが省略され始め、 同時に読み方も「が」が省略され各務原(かがみはら)という読み方が広がっていきました。 新しい市名を敢えて各務原(かかみがはら)とした理由は、助詞を省略しながらも本来の読み方への回帰を図り、 北部地域の濁らない発音を取り入れて決定したと、ここに一つの仮説を提示したいと思います(図-4)。
 各務原の読み方のバリエーションは、その歴史的な変遷を物語っています。 それだけ、歴史が深いということです。 各務原市が誕生した後になって、「が」を省略して“かかみはら”という読み方が生まれたと考えられます。 各務は、野や原が付き、表記も読み方も常に変化した、大変に興味深い地名です。


本ページの背景:「Lewis Chessmen」photo:K.Nishimura
https://canon-new-fd-lens.jimdo.com/nfd-50mm-f3-5-macro/


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2017年度第1回講演より

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