第6回定例講演 (平成29年2月18日) |
美濃路と中山道
(尾西歴史民俗資料館学芸員)宮川 充史
*本ページは、講演時の資料を参考に当編集部にて作成したものです。
1.江戸時代の街道
図-1 江戸時代の道中案内図(国土地理院/『大日本早引細見絵図』1842)
1.駅伝制(伝馬 制)
図-2 アッピア街道州立公園(ローマ近郊)
(Photographer: Lora Beebe, 2004/6/8)
駅伝制の「駅」は、時代と共に「駅家(うまや)」から「宿場」へ、そして、慶長19年(1614)の大坂夏の陣以降、戦がない江戸時代では 軍事的な色合いも薄れ、人や物資が往来する街道へと整備されていった。
(拡大)
図-3 アッピア街道 Via Appia(Roma~Brundisium)
図-4 『伊勢参宮 宮川の渡し』広重の一部
(神宮徴古館所蔵)
2.美濃路廻りの東海道と中山道
図-5 東海道・中山道・美濃路
2.美濃路の宿場と渡し
1.名古屋宿
図-6 伊藤呉服店(後の松坂屋)/尾張名所図会(愛知県図書館所蔵)
2.清州宿
図-7 清州城跡/尾張名所図会(愛知県図書館所蔵)
図-8 清須花火/尾張名所図会(愛知県図書館所蔵)
3.稲葉宿
図-9 長光寺六角堂/尾張名所図会
(愛知県図書館所蔵)
街道沿いにある長光寺を少し行ったところが、岐阜街道(旧鎌倉街道)の起点で、笠松を経て岐阜城に通じる。
4.萩原宿
萩原宿は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋17軒で、美濃路の中では最も規模の小さい宿場。5.起宿
起川(木曽川)では、将軍の上洛や朝鮮通信使の来朝に際して、舟を並べて繋ぎ止め、その上に板などを渡してつくる「舟橋」がかけられた。 その舟の数は270艘以上で、江戸時代にかけられた回数は18回といわれている。また、清国の商人から8代将軍吉宗に献上された象を渡らせるために、象船がつくられたことでも知られている。 美濃路には四つの渡し場があるが、揖斐川(佐渡川)と境川(小熊川)では歩いて渡り、 長良川(墨俣川)では、見物人が騒いだために象船から逃げ出してしまったそうだ。
図-10 起川/尾張名所図会(「起 まちあるきマップ」尾西歴史民俗資料館)
6.墨俣宿
図-11 墨俣宿と四河川(地図はGoogleMap,2017)
7.大垣宿
図-11 大垣宿と美濃路・竹鼻街道(地図はMapionMap,2017)
3.参勤交代と美濃路・中山道
1.参勤交代
図-9 本庄宿/渓斎英泉 画
2.美濃路
美濃路の通行の大半が参勤交代関連。 加賀の前田家は北国街道を東廻りで中山道に入るのが通常のルートだが、北国街道を南に下って中山道を進むルートや 美濃路廻りで東海道に出るルートも数回あった。これは100km以上も遠回りになる。 文政4年(1821)以降の資料では、以下の藩の通行も比較的多かった。
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図-10 松濤園(立花氏庭園)
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3.中山道参勤交代時、揖斐川より西の諸藩で中山道を通過した藩◆中山道を指定されている藩
*2) 定府(じょうふ)大名
水戸徳川家と老中や若年寄などの幕府の要職にある大名以外にも多数の定府大名はいたが、明確な区切りはなかったようだ。 支藩として新たにできた藩などで、特に開墾して増えた石高で立藩された新田藩が、定府となっている場合が多い。 宗藩が治めるため支藩の藩主が不在でも構わないからともいえる。 敦賀藩は小浜藩の支藩であり、七代藩主の時には若年寄になっている。 また、三上藩も五代藩主の時に若年寄で、高富藩の藩祖は五代将軍綱吉の小姓であった。 対して国元に留まる場合を在府という。 |
土井家間部家酒井家小笠原家京極家本多家井伊家遠藤家本庄家 |
4.通行状況/
(1)鵜沼宿の利用状況/享保16年(1731)~慶応2年(1866)資料出典:栗木謙二、吉岡勲「鵜沼の歴史」
図-11 主な利用者団体の内訳
表-1 朝廷関連の通行 |
表-2 大名の通行
*3)
*4) *5) *6) 登美ノ宮………水戸藩主斉昭の正室 *7) *8) *9) |
(2)起宿の宿泊数/文政5年(1822)~文久3年(1863)
藩 | 藩主 | 美濃路 | 中仙道 | 在府 | 不明 |
大野藩 | 土井家 | 21 | 13 | 7 | 3 |
勝山藩 | 小笠原家 | 5 | 8 | 22 | 6 |
起宿 船庄屋 林家の記録より
(3)幕末の出来事と中山道の通行/天保13年(1842)~文久元年(1861)
【弘化3年(1846)】本庄宿
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本庄宿⤴
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図-12 中山道3宿本陣の利用者数
*10)『旧中山道鵜沼宿本陣桜井家文書』(平成23年各務原市歴史民俗資料館)
*11)『中山道本陣展~御嶽宿を中心として~』(平成8年中山道みたけ館)
*12)長谷川勇『本庄宿田村本陣宿帳』
*11)『中山道本陣展~御嶽宿を中心として~』(平成8年中山道みたけ館)
*12)長谷川勇『本庄宿田村本陣宿帳』
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