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UpDate/2017/6/29



第4回定例講演
(平成28年10月17日)


忘れられた街道と地名
(愛知地名文化研究会会長/工学博士)中根洋治

本ページは講演資料をウエブ用に改変して転写したものです。
  (ただし、写真-2,3以外の画像や注釈は当編集部で加筆)

《50音順に列記》

図-1 岩魚越峠(国土地理院地図より)

岩魚越いわなごし

 岩魚が越えた峠。清内路峠の東、π岳の西(図-1)。

うとう峠

 各地にあるU字形の掘割地形。「う」は低いことを表わす。
 中山道の各務原市の峠。鵜沼も低い土地。
『各地の「ウトウ」地名について』

往還おうかん

 主な街道。豊橋市往完町は海に近い牟呂地区で、平安時代の東海道が通っていた。
  けもの道→踏み分け道→山道→作道→村道→往還(街道)

図-2 草書の「古」(上)と「小」
(書道三体字典より)

おこし

 一宮市(旧尾西市、旧起村)。「小越」と書いた記録があるので渡し場。

小渡(おど)

 豊田市旭地区。古渡と書いた渡し場。草書体の「古」を「小」と誤った。(図-2)

大だわ峠

 たわんでいる部分を越える峠。各地にある峠の古い呼び名。

追分おいわけ

 道の分かれ目。馬子が馬を追い分ける場所。

写真-1 糟目犬頭神社 2017/1/5

犬頭伝説
 「上和田の城主・宇都宮泰藤が、鷹狩の道すがら大杉の下で休んでいるうちに、ついつい寝てしまいました。 しばらくすると大杉から大蛇が降りてきて今にも泰藤を呑み込もうとしていますが、泰藤は何も気づかず眠り込んでいます。 その時、つれてきた白い犬が大蛇を見つけてしきりに吠えたので泰藤は目を覚ましたが、大蛇には気づかずまたまた寝入ってしまいました。 でも犬は吠え続けているので、眠りを妨げられ怒った泰藤は刀を抜き犬の首をはねてしまいました。 すると犬の首は上へ飛び上がって大蛇ののどに噛付き、大蛇をかみ殺しました。 泰藤は驚き、後悔し、暫く茫然としていましたが、忠犬の霊を慰めるため犬頭霊社としてこの宮に葬りました。
(「岡崎の観光文化百選とその周辺」より)」

糟目かすめ

 渡し場。岡崎市の鎌倉街道の矢作川渡し場に糟目犬頭かすめけんとう神社(写真-1)、 豊田市渡刈町の矢作川渡し場に糟目春日神社あり。

賢島かしこじま

 かち越え島。干潮のとき徒歩かちで渡った島。

勝川かちがわ

 春日井市の庄内川をかちで渡ったことから。

沓掛くつかけ

 峠や川の前後にある地名。峠や川を越える前と、越えた後、一服する所。

九里半街道

 濃州三湊(船付・栗笠・烏江)で陸揚げされた物資は琵琶湖まで9里半の距離を運ばれた。濃州三湊は養老町の名神養老サービス南側。

図-3 フイゴ/日本山海名物図会5巻
(国立国会図書館デジタルコレクションより)

蹴上けあげ

 京都の東の入り口。刀鍛冶が平安時代から居て、フイゴ(図-3)を足で蹴ったから。

下呂

 下留まり。中呂・上呂あり。関市から飛騨街道が七宗町を通り金山・下呂から高山へ行く官道。

幸道こうどう

 豊橋市伊古部町の字名。飛鳥時代の東海道が渥美半島の表浜を通っており、 当時は「行倒いきだおれ」だったが、 後に「行倒こうどう」とされ、さらに現在の文字となった。

猿渡さわたり

 渡りやすい場所。美濃路の揖斐川右岸は沢渡さわたり村だった。 現在は大垣市東町。知立市に猿渡川あり。

写真-2 蜀の桟橋/中国四川省(武部健一撮影)

かけはし

 片側が山、片側が谷地形の桟道(写真-2)。

志賀須賀しかすがくの渡し

 鎌倉街道の矢作川と豊川とよがわの渡し、両方とも。

宿しゅく

 豊川市古宿、上宿は姫街道沿い、東海道の豊川市(小坂井)に宿、岡崎市本宿町は鎌倉街道の山綱の宿が東海道の方へ下りた所。

関市

 飛騨街道と東山道の分岐点。東山道が岐阜市古津〜関市〜坂祝〜美濃加茂市を通るコースもあった。

関が原

 不破の関所があった。フワは水が表土の下を潜り抜けるので、マンボが多い。フワフワの土地。

センドウ

 東山道沿いにある字名。岐阜市鷺山に南蝉・蝉西公園・ハイツ仙古、又丸字仙道、西改田先道、本巣郡北方町加茂字先道などは東山道沿いの地名。 奈良期の木簡に「東巽道」とあり。)。

地八ぢはち

 秋葉街道の東栄町と佐久間町の境にあった峠。ここにあった茶店が強盗に襲われた。飼っていたサルが追い詰め犯人がつかまった。

写真-3 刎橋/明治39年の河童橋(高野鷹蔵撮影)
(日本山岳会 機関誌『山岳』創刊号1906/4より)

なわて

 両側が田んぼの道。

はね

 木造アーチ橋(写真-3)。ハネバは石と石を飛び越えた所。

伏屋ふしや

 犬山市伏屋は東山道の休憩地。長野県の園原にもあった。行基や伝教大使が旅人救済のために建てた布施屋。岐南町の伏屋は?

船橋ふなばし

 千葉県にある地名。美濃街道の木曽川には、江戸初期に「船橋」が架けられ将軍が通った。一宮市起の架橋部を「船橋河戸」という。

はし

 里のはしはしは手の先。岡崎市高橋町や豊田市高橋町は橋梁を表わすのではなく、米の取れ高の端、つまり旧河道を表わす。

写真-4 当時の錦織網場の風景(跡地案内板より)

「網場」は、浮きを連ねて網を張り、原木などをキャッチするところで、錦織網場では、これを筏に組んで更に下流に輸送した。

呼続よびつぎ

 潮がさして来た時に、呼び伝えた所。江戸期の東海道沿い。

八百津やおつ

 岐阜県八百津町。木曽川の舟運がここまで来て、飛騨地方へ物資が運ばれた。木材集積場の錦織網場にしごりあば(写真-4)もあった。

度会わたらい

 伊勢は「百船の渡らいの国」といわれた、伊勢湾を渡って東国へ行った。飛鳥時代の東海道は伊勢を通り、渥美半島から関東へ行った。

わたり

 岡崎市の鎌倉街道が矢作川を西へ渡った町名。宮城県亘理わたり町は阿武隈川を渡る所。



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