地名とことば
〜言語学的に見た「かかみがはら」
(岐阜大学教授/日本語学) 山田 敏弘
このページは、本講演の資料を元に、当編集部が独自に作成したものです。
T.日本語はどのような言語か/日本語は「特殊な言語」ではない
1)音韻
日本語の母音の数は「あいうえお」の5つ。
図1は、世界の 563 の言語を分類したもの。日本語を含む5〜6母音の言語は 288 で 51.2% と約半数を占め、標準的な言語と云える。
因みに、標準的母音数(5〜6)の言語には、日本語の他アイヌ語、スペイン語、ロシア語、アラビア語などがある。
多母音では、英語、フランス語、韓国語などがあり、少母音には「お」のない4母音のマダガスカル語がある。
図-1 母音数による分類‖WALS*1)/Vowel Quality Inventories(Map2)
2)語彙の三層構造
日本語では、和語(本来語)、漢語、西洋語の三層構造をなしている。
同じように英語も、アングロサクソン語(本来語)、フランス語、ラテン・ギリシャ語の三層構造をなしている。
どちらも下層の本来語には庶民的な懐かしい響きがある。
日本語 | 英語 |
和語 (本来語) | 漢語 (字音語) | 西洋語 |
アングロサクソン語 (本来語) | フランス語 | ラテン語 ギリシャ語 |
手助け | 援助 | サポート | help | aid | assistance |
お尋ね、問 | 質問 | クェスチョン | ask | question | interrogate |
戦い | 戦闘 | バトル | foe | enemy | adversary |
時 | 時間 | タイム | time | age | epoch |
贈り物 | 贈答品 | ギフト | gift | present | donation |
表-1 三層構造の例
3)文法
S(主語),O(目的語),V(動詞)という3要素で構成される標準的な文で、その要素配列によって分類したものを図2に示す。
配列が一つのタイプに定められない言語(No dominant order)を除いた1056の言語の中では、日本語のようなSOVタイプの言語が最も多く、47.1%を占める。
次に多いのが、英語などのSVOタイプで 41.2% 。ここでも、日本語は特殊ではなく、寧ろ標準的な言語に分類される。
図-2 文法による分類‖WALS/Order of Subject, Object and Verb(Map81)
4)表記
- ひらがな・・・漢字の草書体より作られた和製表音文字。
- カタカナ・・・・漢字の一部を省略表記して作られた和製表音文字。
- 漢字・・・・・・・中国を起源とする表語文字。(日本で作られたものも含まれている)*2)
本来、和語はひらがなで表記するが、そのひらがなは漢字から生み出されているため、和語の起源がはっきりしない。
そのため、系統的に分類できない。そのことが、唯一、日本語を特殊な言語とする点であろう。
日本語は、多くの漢字
*3)を様々な読み方で使い分けたり、カタカナとひらがなを使い分けたり、
同じ音のひらがなでも「ず」と「づ」、「じ」と「ぢ」を使い分けたりと、世界で最も難しい言語と云われている。
逆に云えば、それだけ多彩な表現ができる言語と云える。
5)音調
一音節の中で高低の変化がない音調を「単純音調」、中国語の四声のように一音節の内部で上下の変化がある音調を「複雑音調」と呼び、
その分布を図-3 に示した。
単純音調と複雑音調を合わせた220言語のうち,単純音調は60%に達し,ここでもまた日本語は「多数派で,ごく普通の言語」であるということになる。
図-3 音調による分類‖WALS/ Tone(Map13)
*1) WALS
The World Atlas of Language Structures(言語構造に関する世界地図)。
「WALS Online」よりデータが公開(2016/5/2取得)
*2) 日本でつくられた漢字
特に明治維新で西洋書物を翻訳するために、憲法、自由、人民など多くの漢字が生み出された。
*3) 漢字の数
現在の漢字は十万字を超えるといわれている。大修館書店出版の大漢和辞典では、約五万字が記載されている。
日本で一般的に用いられる漢字は、常用漢字と人名用漢字の合わせて約 3000 字程度だが、
漢検1級者ともなれば、更にJIS第一・第二水準の約 6000 字が加わる。
U.地名を言語学的に考える‖「各務原」から
1)東清西濁 〜「各務」は「かかみ」か「かがみ」か
西日本(九州・山陰・北陸除く)は母音を強く子音を弱く発音し、東日本や九州は子音を強く母音を弱く発音する傾向があり、「東清西濁」と深く関わる。
ただ、岐阜や愛知は、そうした地理的区分の狭間にあって、明確な色分けが難しい地域と云える。
漢字 | 東 | 西 | (余談) |
読本 | とくほん | どくほん |
戦前の国語の教科書や入門書などの意味だが 「よみほん」と読むと江戸時代の小説などの 読み物の意味となる |
書留 | かきとめ | かきどめ |
「かきどめ」では漢字変換されない場合がある |
悪口 | わるくち | わるぐち |
「あっこう」とも読む(相手を前にして言うときなど) 「悪口雑言」 |
表-2 東清西濁の例
出典:柴田武 『生きている日本語―方言探索』 講談社学術文庫(但し、余談は加筆)
2)「各」「務」の音
| 上古音 詩経音系 (周・秦) | 中古音 切韻音系 (隋・唐)
| 近古音 中原音韻系 (元) | 北京語 ピンイン*2) (現代) |
「各」 | kak - | kak - | ko - | kǝ(gè・gĕ) |
「務」 | mIŏg - | mIu - | mbIu - | wu-u(ù) |
表-3 中国語の音素文字表記*3)
図-4 声調(tone)記号
万葉仮名では、「務」は「ム」だが、「各」はない。
つまり、万葉仮名で書かれた時代に、「各務」を「かかみ・かがみ」と読むことは考えにくい。
私は歴史的にいつこの表記が成立したのか知らないが、古代からこの表記が使われたのであれば、その音は「かくむ」であったことが推察される。
しかし、日本語のような開音節
*1)では、基本的に
kak
のような閉音節
*1)を許さないため、後世になり、
kakV-mu
と、
V
の位置に母音が挿入されて
「かかむ」となったことは想像できる。
さらに言えば、閉音節を持った朝鮮半島の民族のような言語話者による命名の可能性も否定できないが、
日本人には発音しにくい音であったため、母音挿入が起こった可能性もある。
現代でも、
ink
を「インク」あるいは「インキ」と最後の
k
に母音を添えたりするなど、外来音を開音節化するのは、日本語の常套手段である。
*1)開音節と閉音節
母音で終わる語を「開音節」と呼び、子音で終わる語を「閉音節」と呼びます。
因みに、母親と子どもが手をつないでいるイメージから、「母音」「子音」の呼び名が生まれたともいわれている。
*2)ピンイン
ピン音は発音のローマ字表記のこと。北京語の発音はピン音と四声で表される。
また、四声とは四種類の声調(トーン)記号。
*3)出典:藤堂明保 『学研漢和大辞典』 学習研究社
人類が発する「音声」に対して、「音素」は、言語と認識して話す言語音として区別される。
3)「各務」の表記
『角川日本地名大辞典 21岐阜県』には、
「大宝2年古跡に御野国各牟郡々領地各務勝小牧が…」[正倉院文書(p.218)]という記述をもとに、「古くは各牟(かかむ)ともいった」
とある。
また、源順(みなもとのしたごう)による『和名抄』(931-938)でも「各務」の表記があり、一貫して「各+む」の表記である。
すなわち、「かかみ」とは本来読まれなかった可能性が高いと推察されるのである。
「各務」の語源を 「鏡」 に求め 「鏡作部」 が居住したとする説があるが、日本語の歴史からみると、
「み」の音が元からあったとは考えられず、『古事記』等に見られる 「加賀美」 とは、どうしても結びつかない。
むしろ、「かくむ」 からは、
… 若草之
都麻母古騰母毛
乎知己知尓
左波尓可久美為 …
[万葉集 巻二十 4408(陳防人悲別之情歌一首)より]
と詠まれるように 「囲む」 の古語は「かくむ」のほうが音として近い。
つまり、「各務」は、語源的に遡りたいのであれば 「かくむ」 と読むべきであり、「鏡」 とは何の関係もないとする方がよい。
4)「ヶ」
次に「各務ヶ原」の「ヶ」について考えたい。
この場合の「が」は、「我が国」などに見られる連体的な格助詞「が」と同様の用法と考えられる。
ただし、この「が」が「の」の意味で用いられるのは、古代以降近世まで「五箇山」のような数詞に付く場合のみであり、
「各務ヶ原」のように数詞でなく固有名に付く用法は、近代以降の用法となる。
特に東日本では「原」が付く地名は多く「が」を介さない「はら」であり、
例として武田氏と村上氏の合戦で有名な上田原の戦いは「うえだはらのたたかい」であり「うえだがはら」ではない。
後に畿内から「固有名+ヶ原」による命名が広がり、愛知の「設楽原」は「したらがはら」と読まれるようになる。
中には、福島県にありながら「安達太良山」から「安達ヶ原」となったものもあり、
東日本だから一様に「固有名+ヶ原」がないとは言えないが、東日本では「〜原(はら)」、
西日本(特に畿内近縁)では「〜ヶ原(がはら)」という分布が濃いように見える。
ことばは、京都を含む畿内から発し東日本では東進する。畿内に近い岐阜で「各務ヶ原」という表記、あるいは「かかみがはら」という
読み方が普及したのは、当然のことながら「各務野」の後であり、比較的新しいものではないか。
「〜原」で「〜がはら」と読む地名
地名 | よみ | 所在 |
| | |
小田代原*1) | おだしろがはら | 栃木 |
高天原*2) | たかまがはら | 茨城 |
高天原*2) | たかまがはら | 富山 |
設楽原 | しだらがはら | 愛知 |
長者原*3) | ちょうじゃがはら | 鳥取 |
*1)現地案内板では「小田代ヶ原」と表記。
*2)乗鞍岳や志賀高原などでは「高天ヶ原」と表記
*3)「長者原台地」では「〜ばら」といい、大分や福岡の「長者原」は「〜ばる」という。
*地名クリックで地図にリンク
(別ウインド)
図-5 「〜原」地名の分布図
各務原市は「かかみがはら」に統一しているが、まだ、「ヶ」を入れる入れないの表記や「が」いれる入れないの読みが混在している。
図-5でプロットした地域でもそうした混在が少なからず見られた。
V.おわりに 誤用と慣用
以上、あくまで言語的特徴から「各務原」の地名の歴史を考えてきた。言語学上の理論に、一定の地名サンプルを根拠に話をしてきたが、
細かいことはこれからさらに研究が進むことを期待している。
余談ながら、私が関わっている言語学という領域においては、常に「正しさ」とは何かが問題となる。
よく
「『姑息』というのを『卑怯』の意味で使うのは間違いですよね」 とか、
「コーヒーになります」 は間違いだとかいう
ことば咎め を耳にするが、
ことばは常に変わるもの。現代人は、平安時代の人から見たら、すべてにおいて間違ったことばを話していることになる。
「かわゆし」 は 「かわいい」 の意味ではないため、孫に 「かわいい」
*)と言うと恐ろしいことになるなど、
意味の変化には枚挙に暇がないほど例がある。文法も、昨今
「各務原で住んでいる」、
「市役所で勤めている」 など、「に」 を使うところで 「で」 を使うようにもなってきた。
ことばは変わる。そのことを考えながら、他の世代の人のことばを咎めるのではなく、それらの人々を含め、
同時代の人とどうしたらうまくコミュニケーションをとっていけるかが重要であると考える。
「各務原」か「各務ヶ原」か、「かかみがはら」、「かがみがはら」、「かがみはら」のどれが正解か、
現代の住民がどう読まれたいかを最優先に地名を決めて行けばよいと考える。
*)「かわいい」の語源
「かほはゆし」→「かはゆし」→「かわいい」
「かほはゆし(顔映ゆし)」は「顔を向けていられない」、「見ていられない」から「気の毒だ」「不憫だ」の意味で
使われていた。それが、「気の毒だから助けてあげたい」と思う「愛しい」と意味に変化したといわれている。
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