Lecture

UpDate/2016/3/2


 =MENU(2015)=

  1. 各務原という地名
  2. 月に地名をつけた日本人
  3. 十万年前の川の跡
  4. 日本人のルーツ
  5. 零戦と各務原
  6. 災害立国日本
  7. 各務原から展開する古代地名
  8. 私が巡った外国の地名
  9. あの世の地名
  10. 本美濃紙のお話し
  11. 「がんどばぼち」と木遣音頭
  12. 食・中山道・かかみがはら
  13. 第34回全国地名研究者大会
第2回定例講演
(平成27年6月20日)


U.日本人のルーツとマンモスの絶滅
(立命館大学名誉教授)  早川 清

*本ページは講演内容を参考に当編集部が作成したものです。


◆ヒトは、いつ、どこで、誕生したのか

 かって、人類の祖先の誕生は、最古の猿人の化石として発見されたアウストラロピテクス属アファレンシス(アファール猿人)、 アルディピテクス属ラミドゥス(ラミドゥス猿人)などと時代はどんどん遡り、新生代/新第三紀/鮮新世の400〜500万年前とされてきたが、
2000年代に入って、アフリカ中央部のチャドで更に古い600〜700万年前(鮮新世の前、中新世)の地層から発見された サヘラントロプス・チャデンシス(トゥーマイ猿人)で更に更新した。 (世界史の教科書なども人類の出現年代は約700万年前とされるようになった。)
しかし、進化においてチンパンジーと分岐した時期とも重なることから、分岐の前ではないかとか、脚の化石や足跡化石は見つかっていないため、 直立二足歩行に疑問の声もあり、不明な点も多い。
ただ、これまでの化石人類の発見がアフリカ東部に集中していたこともあり、中央部の砂漠からとは当時としては驚きであった。
今年に入ってアウストラロピテクス属の新種が発見され、デイレメダと名づけられたが、こうした猿人の化石は、全ての種で全身全てが発見されて いる訳ではないので、今後の発見によっては属の分類も大きく変わる可能性もある。

図1.新生代第四紀の地質時代区分

現代人(ホモ・サピエンス)の起源については、猿人から原人、旧人と連続して進化してきたと云う説には否定的で、 DNA解析の進化に伴い、20万年前にアフリカで現在のホモ・サピエンスの直系の祖先が誕生したとする説が有力となっている。

図2.猿人の進化系統図

 3万年前に絶滅したとされるネアンデルタール人も、このDNA解析で直系の祖先でないことが証明されたが、その絶滅の原因は 謎に包まれている。
ヨーロッパ人の祖先とされるクロマニヨン人とは生存時期が重複し、実際、イスラエルで共存していた痕跡が発見されている。
2010年には、現代人の中にネアンデルタール人の遺伝子が1.4%含まれていると云う研究結果が発表され、2014年には その混血時期は約6万年前とされた。
白っぽい皮膚、金髪や赤毛、青い目などはネアンデルタール人から受け継いだ可能性が高いとされている。
一方で、頭部や腹部に攻撃を受けた痕跡のあるネアンデルタール人の化石も発見されており、クロマニヨン人による暴力的な駆逐が 絶滅の原因ではないかとも云われている。
又、居住域がヨーロッパに集中していたことから、4万年前のイタリアを中心とした火山の噴火が原因とも云われている。
だが、同様の居住域をもつクロマニヨン人が何故を子孫を残せたかという疑問が残る。
シベリアで発見されたネアンデルタール人の兄弟種の化石から、その遺伝子の一部がポリネシア人に混入しているとの情報もある。

人類が衣服を着るようになったのはいつか
7万年前、インドネシアのトバ火山の大噴火で、劇的な寒冷化が6000年続いた。その間生き延びたのは、ホモ属ではネアンデルタール人と わずかな現代人の祖先だけだった。
現在、70億の人口を有する人類は、その個体数の割に遺伝的多様性が小さいと指摘され、実際、DNAの進化を逆算すると、7万年前には1万組以下のの夫婦 であったと解析された。こうして僅かな祖先が生き延びてきた極度に寒いこの時期に衣服を着るようになったと言われている。 これを裏付ける報告にヒトジラミの分化がある。
毛髪に寄宿するアタマジラミと衣服に寄宿するコロモジラミの2種に分化した時期が、ちょうど7万年前だという遺伝子研究の結果だ。
この7万年前というキーワードは、アフリカ単一起源説の出アフリカの時期と一致する。 暖かさを求めて、移動を開始したと考えられる。

◆日本人のルーツとは?日本人はどこからきたのか?

 以前から日本人の祖先は南からの狩猟型の縄文人と東からの農耕型の弥生人に大別されてきた。 そして、弥生人が縄文人を北(アイヌ人)と南(沖縄人)に追いやったとされてきたが、 最近のDNA解析から混血が進んでいたことが判明している。 図3はミトコンドリアDNA(mtDNA)変異部の型区分(ハプログループ)の系統図。(日本人にない型は一部省略)

図3.ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループの系統図

 白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばる)で発掘された人骨を分析した結果、_M7a(M7の派生)の系統であることが判った。 これは縄文人に多い型で、現在の日本人での割合は、沖縄(23%)、本州(7%)北海道アイヌ(16%)となっている。 因みに、日本人の約3分の1が_D4_で最も多いとされている  図4のように関東地方の縄文遺跡(56体)と九州北部の弥生遺跡(78体)を比較すると、縄文は__や南方経由の__が多く、 弥生は__や北方経由の__が多い。そして、現代人はそのいずれも平均的な比率であることからも混血を裏付ける。

図4.弥生人、縄文人、現代人に見られるミトコンドリアDNAのハプログループの割合
(『日本人になった祖先たち』篠田謙一著より引用、改変)

 現在のところ、アフリカに端を発した_L3_は南方ルートから東南アジアを経由した__と、 中央アジアから中国、朝鮮経由の_B、D、F、G_と、 北方ルートからの__の三方から日本に入ったされている。 ただ、Dに関してはチベット、日本で多数みられるのに、中国、朝鮮では皆無に近い点が不思議ではある。
 近年、母系の分析を補完するため、Y染色体による父系の解析も進んできている。
一例として、
『南米のコロンビア人を調査したところ、mtDNAは、ほぼ全ての人がモンゴロイド系(黄色人種)の特徴を持っていたが、 Y染色体はほぼ全てがコーカソイド(白色人種)特にスペイン人に特徴的なタイプのみであった。 逆に東ヨーロッパの諸民族のmtDNAはほぼ全てコーカソイド系であったが、Y染色体及び核DNAにはモンゴロイド系の特徴を持っている人々が 少なからず発見された。』
(『DNA』J・D・ワトソン/B・アンドリュー著)

 母系の流れと異なるところは何処か侵略の足跡を窺わせる。 いずれにしても、単一民族と云われてきた日本人だが、此れほど多様性に富んだmtDNA集団は世界的にも少ない。
 一つの細胞に一つしかない核のDNAに比べ、mtDNAは1000個以上あり、その情報量(塩基数)は16000程と極端に少なく、 変異速度も速いため、長い過去の分析に適していた。
一方、Y染色体は5100万塩基と膨大なのだが(DNA全体30億に比べれば少ない)、ジェノグラフィック・プロジェクトの進展に伴い (2015年現在参加者数が70万人を突破)急速に進んでいる。 今後の各地の発掘や、これらの解析に期待したい。

◆ヒトはマンモスとどのように関わりを持ってきたのか?

ヒトがマンモスと同時代に生き、狩猟の対象としていた痕跡
ケナガマンモス ( Mammuthus primigenius ) ショウカコウマンモス ( Mammuthus sungari ) ステップマンモス ( Mammuthus trogontherii ) インペリアルマンモス ( Mammuthus imperator )
寒冷地には今なおマンモスが生息可能な環境があるとされ、近代に古生物として認知される以前から目撃情報がある。
【「wikipedia/マンモス」より】

戦時中、捕虜でシベリア送りとなったドイツのカメラマンが撮影したフィルムが、遺品の中から発見され、それがネットで公開され話題になった。 結局、英BBC放送が製作した教育番組のCGシーンを加工したものだったが、5、6秒の映像で如何にも本物っぽかった。
1万年前に絶滅したとされるその原因が諸説あり、謎に満ちているためか、人類の祖先が、彼らに救われた?からか、何故か人々に愛されている マンモス。保存状態の良い死骸から採取された血液や、ほぼ解明されたというDNAや、新たにゾウから再生させる研究など、 いったい、この先、何をもたらしてくれるのだろうか。

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第34回 日本地名研究者大会
(平成27年5月30日〜31日)

1日目 : 5月30日(土) / 大垣スイートピアセンター

  360名の参加者を迎え、説田岐阜地名文化研究会会長の歓迎挨拶より開演

◇基調講演 ◇第1部『美濃の地名と文化』 =昼食= ◇第2部『美濃の街道と合戦』 ◇記念講演 ◇レセプション(夜)

2日目 : 5月31日(日) / 関ヶ原探訪

◇午前 ◇午後

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